花の四阿

    Lala掲載の『狼陛下の花嫁』二次小説のブログです。某SNSで書き溜めた小説の他・イラスト・詩文・写真・徒然日記・一部鍵つきを掲載しています。

    私の『東日本大震災3』

    自分の心の整理の為に徒然に書いている実話です。
    問い合わせ・苦情は一切受け付けません。


    穏やかです。
    陽射しこそ、うす曇でありませんが
    穏やかないい日です。

    震災前と変わらないそんななんでもない日のようです。
    でもこの地域も汚染されていると思うと、とても悲しくなります。

    こんなに自然が豊かで美しいからこそとても悲しい。




    震災の年、ゴールデン・ウィークのことです。

    当時中三だった長女の中学の女性校長S先生と
    学校図書震災復興委員長だったT先生とのご縁を結ぶ仲人みたいなことをした時に、

    さくらぱんの自宅から歩いて五分のところにT先生が泊まりました。

    初めて被災地の視察をしたときにご案内と・宿等の手配をしてくれたS校長先生。
    視察の感想と共に、宿で三人で飲み交わしました。

    ほとんど会話の内容は、お互いのこと、楽しいことだったので半分ぐらい忘れてしまいましたが、
    一つだけ印象に残ったお話が。


    あの日は、卒業式。
    長女は、まだ中二でした。

    ほとんどの学校は、卒業式。

    視察に行った中学校でも卒業式でした。

    被災された中学校の校長先生の案内で、S校長先生とT先生が津波被害にあわれた学校を視察しました。

    五月ですから、或る程度は片付けられていたとは思いますが、教室は砂だらけで・・・


    その学校の屋上に円陣を組んだ学校の椅子。

    津波で周りが海の三月の夜。

    あの日は、とても寒くて雪もチラついていたと記憶しています。

    被災された中学校の卒業式に出ていた保護者や生徒が屋上には避難していました。

    円陣を組んだ椅子の上で、保護者や先生達がスクラムを組み

    その中に生徒を入れて、囲むようにして寒さや風から子供たちを守り

    助けをずっと待ったのだそうです。

    風をしのぐものが無く、凄く寒かったと思います。

    家にも帰れず食べ物も無く。

    心細く何もしてやれない中で、親として唯一できたことが子供を暖めることだったのです。

    内陸で比較的被害が少なく家の中で過ごしていた私。

    停電だ。余震だ。と騒いでいた私は、なんて贅沢だったのでしょうか?

    このお話をS校長先生とT先生から聞いた時。

    極限状態の親として私には何が出来たのか。

    同じ親としてとても恥ずかしくなりました。

    と同時に、感動で胸が熱くなりました。

    埋もれた震災の秘話だと思います。

    S校長先生とT先生から知り得たお話は、たくさんあります。

    このお二人のご縁を結んだことは、震災時のさくらぱんの使命だったのかもしれません。


    未だに支援活動をしてくれるT先生、学校図書の皆様。
    転勤でご縁か薄くなりましたがS校長先生。
    当時も今も大変お世話になりました。
    ありがとうございます。
    お二人のご縁を結べたこと、大変名誉に思います。

    紹介先を頼ってくれた古い友人Eさん本当にありがとうございます。
    そしていつも花の四阿を応援してくれてありがとう。

    『いつの日か四人で飲みましょう!!』その言葉が現実となりますように。





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